成龍:龍の起源(並びに:李小龍)- 四柱推命 - リリキのJAZI占い

成龍。

2024年,4月7日。

中華國を代表す有名な映画係のスター~成龍が,70歳の誕生日をめでたいに迎えた。

その日、数え分からない網民たちがSNSで他への祝福の言葉を送り,さらに今も第一線で成功を続ける歌語エンタメインメント界の「ダイスー」として敬意を表した。

2024年は、十二支の「龍年」(甲辰)に当たる。だが,1954年生まれの成龍は、生年としては「馬年」(甲午)に当たる。とはいえ、生月は4月,月注が「辰」(龍)であるため,成龍の四柱命計(四柱すいめい)には「龍」の要素が含まれている。

それは、つまり:

1.陳港生
2.李小龍と成龍
3.幸運な老人

1. 陳港生

成龍
成龍
成龍の四柱推命・命式
成龍の四柱推命・命式

成龍,

1954年4月7日生まれ。
四柱推命:甲午(年) 戊辰(月) 癸巳(日) ??(時)
大運:庚午(1973~1983)。

成龍の本名は「陳港生」。香港太平山に生まれ、父親の戸名は戸道竜といい,その名前にも「竜」の字が含まれている。

後に李小龍が急逝すると、香港映画界は新たな「李小龍」を切望するようになった――

そして、1976年にリメイクされた『新精武門』にて、成龍は李小龍の動きを模倣する形で主演を務め、この時から正式に芸名を「成龍」と改めた。

注意すべきは、1976年は「丙辰年」であり、「辰」すなわち「龍」の年であったことだ。

新精武門
新精武門
『新精武門』の公開日の四柱推命
『新精武門』の公開日の四柱推命

『新精武門』の公開日は、

1976年7月8日。
四柱推命:丙辰(年)、乙未(月)、辛酉(日)、時柱不詳。

この1976年に公開された『新精武門』は、年柱が「辰」(龍)であり、かつ「丙辰」年、「辛酉」日という組み合わせによって「丙辛合」「酉辰合」という、非常に親密な「天地鴛鴦合」を形成していた。

演芸界において、この「天地鴛鴦合」は、抜群の人気運と大衆の支持を意味する。

おそらく、こうした「鴛鴦合」の加護を受けて、1954年生まれの陳港生は、1976年『新精武門』の大ヒットと共に「成龍」として新たなデビューを果たし、瞬く間にスターダムへと駆け上がったのだった。

そして、この年の成龍の四柱推命・大運においても、1976年の流年「丙辰」は、彼にとって「財星」が透出する年に当たっていた。

財星は市場・商業・ビジネスチャンスを意味するため、まさに『新精武門』の成功と、成龍のロウ・ウェイ映画公司との契約、芸名「成龍」への改名、そして第二の芸能人生のスタートが、天命に導かれるかのように重なっていたのだった。

時は流れて――

2. 李小龍と成龍

李小龍の四柱推命・命式
李小龍の四柱推命・命式
成龍の四柱推命・命式
成龍の四柱推命・命式

李小龍、

1940年11月27日午前7時生まれ。
四柱推命:庚辰(年)、丁亥(月)、甲戌(日)、戊辰(時)。
大運:庚寅(1964~1974)。

成龍、

1954年4月7日生まれ。
四柱推命:甲午(年)、戊辰(月)、癸巳(日)、時柱不詳。
大運:庚午(1973~1983)。

二人は、いずれも中華世界を代表するアクションスターであるが、どちらの命式にも「比劫」(スポーツ競技に秀でる星)は透出しておらず、かわりに「官殺」(権威や武術を象徴する星)が顕著に表れている。

李小龍と成龍
李小龍と成龍

李小龍は年柱に「七殺」を透出しており、成龍は月柱に「正官」を透出している。

このため、二人の武術的特性は、単なるスポーツや技の競い合いというより、軍事的・戦闘的な「殺術」に近いものだった。

例えば、李小龍が創始した「截拳道」は、華麗な演技や伝統的な武術套路を排し、最小限かつ最速で敵を制圧する、シンプルかつ実戦的な戦術を重視していた。

また、成龍が大成した「ポリス・ストーリー」シリーズも、伝統武術ではなく、現代の警察官を描いたアクション映画であり、まさに奇観的な「功夫喜劇」と呼ぶべきジャンルを切り拓いた。

対照的に、李小龍の師である葉問(イップ・マン)は、典型的な「比劫」命式の持ち主であり、日々、木人椿を叩き、伝統武術「詠春拳」の型を研鑽するような、まさに体育競技的な練習法を重視していた。

李小龍の命式は、年柱「七殺」透出に加え、月柱「亥」(水の偏印)が支えており、「殺印相生」の格局を成していた。

これにより、彼の截拳道は単なる武術にとどまらず、「水のように生きろ」という人生哲学にまで昇華されたのだった。

一方、成龍は「七殺」ではなく「正官」の透出であり、そこには李小龍のような鋭利な殺気はない。

むしろ、規律正しく、真面目に「役割を果たす」――そういう意味合いが強い。

もし李小龍が軍人タイプなら、成龍は「模範警官」のような存在と言える。

そのため、成龍は『新精武門』の模倣期を経て、自らに合った道――「功夫喜劇」という新たなジャンルを切り拓いた。

そこでは、比劫的な運動神経も、七殺的な鋭利さも必要とされず、ひたすら「エンタメを提供する」という彼本来の正官性が活かされたのだった。

さらに興味深いのは、李小龍の師・葉問が、かつて李小龍に対して「扁平足だから武術を極めるには短命だろう」と予言したという逸話だ。

この点も、李小龍の命式に表れている。

1940年11月27日午前7時(現地時間)に生まれた李小龍の命式は、日柱「甲戌」と時柱「戊辰」で「辰戌冲」を形成している。

辰戌冲は、「足元の破綻」や「旅程の急変」を意味し、結果的に李小龍は、扁平足に悩まされ、格闘スタイルも「脚技中心」となり、さらにわずか32歳で夭折する運命を辿った。

1973年、李小龍が急死した年、彼は大運「庚寅」(1964~1974)の末期にあり、「大運交替期」の不安定さの中で命を落とした。

その年、香港映画界の功夫映画ブームは一時的に沈滞し、無数の龍虎武師たちが失業した。

19歳の成龍もまた、その一人であった。

奇しくも、成龍も1973年に大運を切り替えており、「己巳」(1963~1973)から「庚午」(1973~1983)へと移行したばかりだった。

混乱と崩壊の中で、成龍は再起を誓い、やがて1976年――天地鴛鴦合の年――『新精武門』を契機に「成龍」として新たな航海を始めたのである。

さらに言えば、李小龍の時柱は「戊辰」であり、成龍の月柱もまた「戊辰」であった。

二人の命式は、「辰」と「辰」が重なり伏吟する配置になっている。

時柱は、子孫や後継者を象徴する。

この重なりは、まるで李小龍の意志を、成龍が継いだかのような宿命的な符合だった。

成龍は、完全に「李小龍」にはなれなかったかもしれない。

だが、彼は間違いなく、「龍の系譜」を継ぐ者であった。

そして時は進み――

3. 幸運な老人

成龍
成龍
成龍の四柱推命・命式
成龍の四柱推命・命式

成龍、

1954年4月7日生まれ。
四柱推命:甲午(年)、戊辰(月)、癸巳(日)、時柱不詳。
大運:乙亥(2023〜2033)。

2024年、甲辰の「龍年」。

人々は成龍の「70歳の大寿」を祝った。

成龍――芸名に「龍」を冠するこの男は、実際の干支では「馬」に属している。

しかし、1954年甲午年生まれの陳港生は、「辰月」(4月=龍の月)に生まれており、

さらに彼が尊敬してやまない先輩――李小龍もまた、

「戊辰」の時柱(龍の時間)を持って生まれていた。

李小龍と同じように、成龍もまた、

かつて中国武術映画、アクション・ポリス映画の両分野で、大きな革新を成し遂げた。

そして、その影響力と人気は、世界中に広がった。

それは、同門の兄弟子である洪金寶(サモ・ハン・キンポー)をも上回るものだった。

特に、成龍の最も輝かしい時代は、

2003年〜2013年、「癸酉」の大運期である。

この「癸酉」は、彼の月柱提綱であり、事業宮である「戊辰」と、

「癸戊合」「酉辰合」という、またしても完璧な「天地鴛鴦合」を形成していた。

この「天地鴛鴦合」は、芸能人にとっては「名声」と「財運」が同時に高まる最高の組み合わせである。

この黄金の十年間、

彼はハリウッドでも目覚ましい活躍を遂げ、

中国本土でもCCTV(中央電視台)の春節聯歓晩会に何度も出演し、国民的スターとして人気を誇った。

2004年、華語映画界に本格復帰し、『新警察故事』に主演。

2005年、キム・ヒソンと共演し、ファンタジー大作『神話』を公開。

また、若き日に主演した『醉拳II』が、タイム誌選定「世界映画史上のベスト100」に選出される。

2007年、『ラッシュアワー3』が全米映画興行成績1位を獲得。

アメリカ『Entertainment Weekly』誌により「映画史上25大アクションヒーロー」の一人に選出。

2008年、ジェット・リー(李連杰)との共演作『ドラゴン・キングダム』が大ヒット。

同年、北京オリンピック応援歌『北京歓迎你』にも参加。

2009年、日中合作映画『新宿インシデント』に主演。

2010年、ワン・リーホン(王力宏)と共演し、『大兵小将』を公開。

2011年、孫文を描いた歴史映画『辛亥革命』を自ら主演・監督。

2012年、『ニューヨーク・タイムズ』により「映画史上最も偉大なアクションスター20人」に選ばれ、堂々の第1位を獲得。

同年、『十二生肖』に主演し、ギネス世界記録「スタント数最多の俳優」「一作中で最多の役職を兼任した映画人」の二つの認定を受けた。

――

まさにこの時期こそが、

「成龍」という名が、世界を制覇した時代だった。

しかし、栄光の絶頂を過ぎれば、

「花は百日紅ならず」。

世間の関心は、徐々に「アクションスター」としての成龍から、

彼の私生活や家庭問題へと移っていった。

2014年、彼の息子・房祖名(ジェイシー・チャン)が事件を起こした。

これは成龍にとってちょうど「甲午」年――つまり、彼自身の本命年であり、

命式における「傷官見官」という忌むべき象意が表面化した年でもあった。

それでも、成龍は「龍の継承者」としての意志を失わなかった。

たとえ年老いても、

たとえかつての熱狂的人気が薄れても、

彼はなお華語映画界の第一線に立ち続け、

「大哥(兄貴)」として後進を導き、光を放ち続けている。

――

英年早逝した李小龍と比べて、

「後継者」としての成龍は、より長く、よりしぶとく生き延びた。

同じ「龍」でありながら、

成龍は、「生きる」ことに成功したのである。

彼はこう語った:

「老いることは、幸運なことだ。

特に、僕らアクション映画を撮る者にとっては、

この幸運がいかに貴重なものかを、身に染みて知っている。

芸能界に入って62年――

今もなお映画を撮り続けている。

本当に、ありがたいことだと思う。」

老いること。

それは、幸運なのだ。

元楼――

港生――

この記事はもともと 2024年 4 月 9 日に公開されたものです。

(完)


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